粟倉神社の獅子舞

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粟倉神社の獅子舞は、江戸を中心とした関東流で、舞楽の粋として関西にはその類を見ないものと推賞されています。

宝暦8年(1758)当時、祠頭大明神(粟倉神社の旧社名)の神官小田豊前と白岩丹後、同淡路父子との間に祠頭大明神を志度大明神に変えようとした神社、呼称の文字意義をめぐって論争がありました。当時の長尾村は常陸藩主土屋能登守の領地であったため、お役所へ吟味方を願い出たがお取り上げがないので、仕方なく同年江戸の奉行所へ訴えることになり、両人はそれぞれ伴人を連れて江戸へ出向き、評定所で裁きを受けることになりました。江戸での滞在は数ヶ月にも及び、その間に習得したのがこの獅子舞の演技で、それ以来祠頭大明神のお神楽として奉納されるようになり、伝承芸能として現在に受け継がれています。

西粟倉村役場公式HPより引用)

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